勇気づけの会と私

私がアドラー心理学を知ったのはおよそ10年ほど前である。

その頃の私は困っていた。怒り、悲しみ、不安、絶望と言った負の感情が全てだった。

何故ならば、子どもが学校に行かなくなったから。

一人親として、子供に不自由させまいと必死に頑張って来たつもりであった。

「親の背を見て子は育つ」と言われるし、私は何とかやってきた。きっと子どもも何とかなるに違いないと思ってはいたが、そうではなかった。

幼児の頃から兆候はあった。いわゆる育てにくい子である。泣き止まない、保育園では仲間との距離感がつかめない、拘り過ぎる等である。成長すると薄れるかとかすかな望みを持ったが、やはり叶わなかった。 

そうしている内に、ついにその日がやってきた。なだめてもすかしても学校に行かない。

私は行かないであろう事は受け入れた。そこは分かったが、さあどうするか。

自分には経験が無いし、相談して何とかしてくれそうな人も知らない。

取り敢えず出来そうな事をしてみた。相談所に足を運ぶ、家族教室に参加する、フリースクールに登録する等である。

私一人がきりきり舞いしているが、本人はお約束の昼夜逆転、パソコンの動画を見てケラケラ笑う、ゲームに没頭とおおよそ私がやって欲しくない事ばかりをして、一日を過ごしている。

これ以上なく疲弊している時、ペアレント教室でTさんと知り合い、アドラー心理学の話を聴いた。講座を受ける為に関西まで出かけたと言うのである。しきりに勧めてくれてもピンとこない。でも、まあ良いか、特効薬も無さそうだし、ダメもとでもいい、期待は持たずにやってみよう。がっかりするのは慣れている。そこから毎月1回の勇気づけの会とのつながりが始まった。

子どもは二十歳を過ぎている。今更感はあったが、「パセージへようこそ」の「自信がある。実績がある」と言う言葉にも惹かれ、アドラー心理学会カウンセラー濱田哲郎さんのパセージとプラスを受講することになった。

そこで学んだ事は初めて聴く話ばかりだった。中でも、子どもを信頼する事の大切さ、不適切な行動に注目しない、子どもの状態に一喜一憂しない、課題の分離をして背負いすぎない、は私の腑におちた。勿論、楽になるとともに、実践の難しさも感じている。

パセージとプラスの後は、そのまま自助会へとつながっている。濱田さんは、毎月必ずその自助会に参加してくれた。

仲間がいる。皆子供の年齢は低くない。皆、重い。でも前に進もうとしている。我が子への愛が伝わって来る。

一言二言の事例から、濱田さんとみんなより、思ってもいなかったアドバイスが貰える。

「何故、それが嫌なのか原因を聞いてみては?」「お母さんが先回りして言ったのが嫌だったのでは?」等々、自分だけでは絶対考え付かない視点で、目から鱗である。

会ではここ数年、進行役を努めてきた。それぞれの子どもの状態は違うが、思う気持ちは共通である。共に語り、考え励まし合える仲間に出会えた。学びを繰り返し、体に染み込むまで勉強したい。

愛の課題からの育て直しであるが、最近は、私の食事の準備中、テーブルの椅子に座って待っている事が多く、手応えを感じている。以前は支度が整って、呼んで、そこからキリが良くなるまで待っていたので、多少此方にあわせてくれていると感じる。

昨年来のコロナ禍の期間、試行錯誤しながらオンラインでつながり、月1回語り合って来た。一か月に一回の例会後は気持ち新たに子供と向き合う事ができる。

子どもの怒りや反発の後ろには、必ず不安があるときづいた。不調や気持ちの落ち込みの

背景も見えてきたので、対応に余裕が生まれる。

子どもは可能性を持っていると思えるようになった。この間に高卒認定試験を受けたり、自動車運転免許にも挑戦している。就職も視野に入るまでになり、上等である。

学ぶ事、日々の暮らしに活かす事で、それぞれの重い課題を持つ私達が、自分と家族そして子ども達との関係が変わって来た。毎回、みんなの笑顔が広がって来た。

様々な生きづらさを抱える我が子との葛藤を引き受け、「私には能力がある」「人々は仲間だ」

を目指し、信頼関係獲得に向け、日々奮闘中である。

立ち返る場所があるのが何より有難い。

勇気づけの会   レモンティー

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